- まるかの歴史
まるか食品とイカ天の関係
まるか食品はイカ天、のり天、天かすを製造販売しているフライメーカーです。
尾道に本社があり、60年以上尾道と一緒に成長してきた会社です。
まるか食品はなぜイカ天を製造するようになったのか紹介します。
尾道でなぜイカ天なのか??
実は日本全国のイカ天製造メーカー10社のうち9社が広島にあります。
しかも広島にある9社のうち5社がここ尾道にあり、
このことからも、尾道と瀬戸内海はイカ天のメッカといっても過言ではないでしょう。
ではなぜこんなに瀬戸内海に集中しているのでしょうか?
「いか」が穫れるから?
いいえ、いかの漁獲量は北海道と青森がダントツで多いです。
イカ天の材料となる「するめ」も、最近は輸入品も増えていますが、決して尾道で穫れるわけではありません。
この謎を解くには、江戸時代まで歴史をさかのぼる必要があります。
尾道とイカ天
四国につながる「しまなみ海道」の本州側拠点の尾道は、約800年前、平安の昔より、荘園米の積み出しを行う、天然の良港として開かれています。
時代をさらに経て、室町時代より、瀬戸内交通の要衝としてさらに発展し、江戸時代の北前船の西廻り航路が開発されてからは、海産物を中心とした商業物資の集積地として、繁栄を極めました。
尾道の港には、北海道から来た北前船をはじめ、九州・四国・大阪などから全国の商船が集まっていました。
今でも残る白壁の建物は、当時「尾道千軒」と呼ばれた大繁栄の名残です。
その中でも、北海道では取れない、当時の最重要品のひとつ、尾道で製造されていた「塩」を求めて、最上級のスルメ、昆布、ニシンなどを尾道に運んでいました。
こうして、全国の最上品の食材があつまる港としても名声を高めました。
そのおかげで、諸国の海産物を使った商品も数多く作られたといいます。
瀬戸内海や尾道でイカ天製造メーカーが多い理由は、このような歴史からだったのです。
まるか食品とイカ天創業時の逸話
創業からかわらぬ挑戦の逸話。昭和35年頃のお話…
小学4年生の頃に、ラジオを分解、構造を調べたりしていた機械の好きな青年。
ある時尾道の魚屋さんの店先で見た光景。手作業で硬いするめをゆっくり伸ばし、イカ天を作っていました。
ちょっとしか出来ないし硬かった。
!(ピン)青年は「わしなら、簡単に伸ばしてやらぁ?」と早速、機械化、すぐに創業となりました。
さぁ、美味しいイカ天が出来た。青年は売りに行きます!
向かったのは尾道から遠く離れた東京丸の内。日本一のM商事でした。
営業部長さん 「よーくわかった。一日貨車何本作れる?」
青年 「貨車!?貨物列車の貨車ですか?・・・」
実は青年、機械化とはいえ当時まだ自転車カゴ一杯しかつくれなかった。
青年 「実は、カクカクしかじか・・・・」
営業部長さん 「はっはっはっ!それでうちへようきたね。」と気に入っていただいた。
そんなウソみたいな挑戦と失敗の繰り返しがまるかの伝統です。
もっと美味しいイカ天ができるはず!まるか食品はこれからも挑戦と失敗を続けます。
まるか食品 イカ天を作り続けて半世紀以上
今まで紹介した経緯があり、尾道では昔から地元の食材としてイカ天が親しまれていました。
当社は昭和36年に創業。
戦後の急速な近代化に合わせて、大量生産技術を構築し、現在まで新しい技術を加えながらイカ天を作り続けてきました。
歴史ある尾道の味。
江戸時代を想いながら食べてみると、よりいっそう味わい深くなるかもしれませんね。
まとめ
まるか食品とイカ天、尾道とイカ天について紹介しました。
何故まるかか食品がイカ天の製造を始めたのか知って頂けたと思います。
まるか食品とイカ天の関係を知ったうえで食べて頂くと、様々な思いを感じて頂けると思います。