いか天のり天コラム

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尾道で、なぜ「いか」なのか?

いか天のメッカ「尾道」

いか天製造メーカーの所在地 広島9社そのうち尾道5社 大阪2社

実は日本全国のいか天製造メーカー11社のうち5社が尾道にあるんです。しかもほとんどの業者(9社)は広島県にあります。このことからも、尾道と瀬戸内海はいか天のメッカといっても過言ではないでしょう。

ではなぜこんなに瀬戸内海に集中しているのでしょうか?

「いか」が穫れるから?

いいえ、いかの漁獲量は北海道と青森がダントツで多いです。

・帝国書院 統計資料「いかの漁獲量 〔2012年〕」
https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/japan/index57.html

いか天の材料となる「するめ」も、最近は輸入品も増えていますが、決して尾道で穫れるわけではありません。

この謎を解くには、江戸時代まで歴史をさかのぼる必要があります。

いか天発祥ストーリー

北前船紀行 北海道・西廻り航路の主な寄港地

四国につながる「しまなみ海道」の本州側拠点の尾道は、約800年まえ、平安のむかしより、荘園米の積み出しを行う、天然の良港として開かれています。

時代をさらに経て、室町時代より、瀬戸内交通の要衝としてさらに発展し、江戸時代の北前船の西廻り航路が開発されてからは、海産物を中心とした商業物資の集積地として、繁栄を極めました。尾道の港には、北海道から来た北前船をはじめ、九州・四国・大阪などから全国の商船が集まっていました。今でも残る白壁の建物は、当時「尾道千軒」と呼ばれた大繁栄の名残です。

その中でも、北海道では取れない、当時の最重要品のひとつ、尾道で製造されていた「塩」を求めて、最上級のスルメ、昆布、ニシンなどを尾道に運んでいました。こうして、全国の最上品の食材があつまる港としても名声を高めました。そのおかげで、諸国の海産物を使った商品も数多く作られたといいます。

瀬戸内海や尾道でいか天製造メーカーが多い理由は、このような歴史からだったのです。

いか天を作り続けて半世紀以上

上記の経緯があって、尾道では昔から地元の食材としていか天が親しまれていました。

当社は昭和36年に創業。戦後の急速な近代化に合わせて、大量生産技術を構築し、現在まで新しい技術を加えながらいか天を作り続けてきました。

歴史ある尾道の味。
江戸時代を想いながら食べてみると、よりいっそう味わい深くなるかもしれませんね。